|
今まで 倦怠感優先だったが 倦怠感をコントロールした後 一転 激痛に変わった。 骨が折れる。 骨折箇所を殴られてる。 胃痛は左側 急性膵炎に間違われたことがある。 パジャマの交換 右肩にパジャマが触れるだけで痛む。 階段の下りは臀部 上りは這い上がり 下から支えて貰った。 手をつけば 手首 肘に激痛。 杖なんて通用しない。 トイレもひとりで行けず 車椅子でバリアフリーにしなくては駄目かという話も出た。 母に介護され 食事を持って来て貰い 食器を下げて貰った。 シャワーも浴びれない。髪はベタベタ しかも臭い。 その中で 出来る事は 部屋の中を暖かくし 加湿器で風邪を防いだ。 注意していても 持ち込まれてくる風邪。 その時は更に痛みが悪化 意識は混濁 寝たきりになった。 風邪を治し 出来る事といったら テレビを観ること 気分転換のネットだった。 とにかく 病気から離れた。 夜 寝る時 足を伸ばす 痛みが何故か激しくなる。 毎夜其れが続いた。 イメージだけで 痛い場所の部位をを 切り落とした。 バラバラになっていた。 全く 繋がってるところが無い。 あらら と思い 痛みの中 笑えた。 ばかばかしくて くだらなくて 考えるのを止めて 睡眠。 冬の間 外出出来たのは 我慢と格闘しながらの 病院3回。 その中で 父の病院1回。 運転中 左の側殆ど痛くて 太ももは左右カッターで切られてる痛み 使えるのは右手と 右のペダルを踏むところ位。運転集中で帰宅。 帰宅後は寒くて寒くて トイレに行くだけなのに 身体を真っ直ぐにして歩けず 直ぐ電気式毛布で身体を温めて 部屋を暖房で暖めて いつの間にか寝ていた。 自身の病院は 1度目は 前回の血液検査の結果が出ていた。 CRPが少しあがっていた。 ガバペンに変更の話も出たが このままにして貰った。 あまり 強い薬にあげたくない 強くすれば楽になるかもしれないが 身体が薬に頼ってしまうだろう。 そして薬の強さだけがあがっていく気がして断った。 この後 ガバペンにすれば 良かったかなとも何度も思った。 今では 治まっていた痙攣が始まったから 余計そう思う。 2度目痛くて病院に行くのも 止めようかと 思いながら 薬がなくなるので 行くことにした。 医療器具使いながら 足引きずりながら エレベーターがあるところは 良かったが 10段位の階段がある。足の膝は折れる感覚。人を呼ぼうかと 立ち止っていた。 駅員は出ていない。こんな時に限って何故か人が通らない。 改札は近い 怒鳴れば気づくだろうとも考えた。が 気力で降りた。 医療器具が軽量で良かったと つくづく思う。 そして やっと病院に辿り着いた。 診療科へ行く途中 主治医が反対側から 何かを考えているように 歩いてきた。 正面を向き 私に気づいた 主治医は 左手あげてくてた。 こんにちはと挨拶をした。 診療科前は 凄い患者数。 相変わらず 新患もいる様子。 以前の激務を思い出した。食事も取れず 休憩も無しの 終りの見えない状態。 あの中でも 手をあげてくれ 一人一人に対応して下さってる 主治医。 こんな痛みなんかに 負けていられない だから 我慢してでも その日 病院に行って良かったと そう思った。 検査をした時はまだ 第一関節は痛くは無かったが 左手の第一関節から痛みが始まっていることを伝えた。 今では この時より 増して痛む。 激務だった頃から 疲れると 赤く線が入り眼球を覆うように充血する。 以前から 背中を叩いてもらうと 楽になる。 そして どんな時に思うのだろう 頭頂部から何かが出てる そう感じる時がある。 |
| << 前記事(2007/12/24) | トップへ | 後記事(2008/04/27)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/12/24) | トップへ | 後記事(2008/04/27)>> |